2007年04月13日

びっこの精神

「びっこ」という単語は、(めくら) (つんぼ) (おし) と同様に
差別語として使う時に気を遣う。
単語が問題なのではなく、それを示す身体的障害を
侮蔑をもって表現することが問題なのである。
いくら差別語・放送禁止用語といわれても、
違う意味において世の中にはこの語句を含んだ単語が存在する。

「びっこ」の意味する状況は、当人も他人も共通の認識をもって、
どちらが正常でどちらが障害であるかを区別できる。
ところが「びっこの精神」となると、誰も認識を共有できない。
普遍的な判断はできず、多数決・利害関係・雰囲気等で、
混沌とした状況に陥る。

「正常な精神」と「びっこの精神」が対峙すると必ず、
「びっこの精神」の持ち主が次のことを発言する。

 ~~俺は正常だ。おまえこそ考え方が間違っている。

そう言われて、怒ってはいけない。
身体的「びっこ」はハンディキャップとして、
同情と気遣いを向けるのが当然である。
それと同様に、「びっこの精神」にも同情と気遣いを向けなければならない。

しかし、私はこの発言で著しく気分を害される。
「怒り」よりも「同情」をすることが重要なのを忘れてしまう。
まだまだ、人間が出来上っていないのだ。

※「びっこの精神」という言葉は受け売りです。

投稿者 ajkosaka : 2007年04月13日 13:35

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